カテゴリー「短歌「塔」掲載歌を読む」の36件の記事

2010/12/19

「報道ステーション」にも河野・永田夫妻

17日(金)夜のニュース番組、テレビ朝日の「報道ステーション」
遅ればせながら録画で見た。

今年亡くなった人をとりあげた「さよなら」コーナーで、
俳優の小林桂樹(けいじゅ)さん、アニメ監督の
今敏(こん・さとし)さんに続いて河野裕子さんが。

それぞれ生前の業績よりも、晩年の家族(妻・夫)との
「尽くし・尽くされ」の美しさを前面に出した構成で、
各ご夫婦の手紙・遺書(河野さんは遺作の歌)などが紹介された。
実は妻煩悩だった小林さん、最後の作品構想を支えた今さんの妻、
そして河野さんのパートは女性ナレーションでこう始まった。
「近代に与謝野晶子がいたように、現代には彼女がいました」

画面には夫の永田和宏さん、長男淳さん、長女紅(こう)さんの談話。
引かれた歌は若い頃のエピソードのとき「たとへば君」、続いて


あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて

ごはんを炊く誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい

さみしくてあたたかかりき この世にて会ひ得しことを幸せと思ふ


平日夜の番組らしい、心に残る静かないい演出だったと思う。
直後のスタジオ古館さんの「まいったねぇ」には参ったけれど。

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2010/11/28

「おはよう日本」に河野・永田夫妻

家族がまだ寝静まっている今朝7時20分過ぎ、バスルームのテレビで
朝のNHKニュースを流しつつ、風呂ふたの上で洗濯物を仕分けていた。
すると「次はある夫婦の物語です。まずはこの短歌をお聞きください」
と、アナウンサー氏がふいに「たとへば君・・・」の朗読を!

次の瞬間わたしはリビングへ走り、リモコンを握って録画セット。
でもさすがに冒頭数分間は、間に合わなかった。

画面右上のサブタイトルに「短歌でつづる夫婦の絆」とあり、
河野裕子さんの短歌生原稿の大写しに続いて、
「NHK全国短歌大会」壇上で講評をする生前の河野さんの映像。

「そんな裕子さんに異変が起きたのはおととしの七月のことでした」

その後「塔」主宰・永田和宏さんとの乳がん闘病中のエピソードと
お二人の短歌が何首も紹介された。

緩和ケアを過ごした自宅リビング。
裕子さんが病床から手の届く範囲の紙(ティッシュの箱や薬袋の裏)
に走り書きしていた歌の映像。
「塔」にも載った温泉たまごエピソードとそれを歌ったお二人の歌。

などなど。それにかぶさるお二人の歌はまさに相聞歌だった。

「裕子さんと和宏さん。二人の心は短歌を通して今も通じ合っています」
「和宏さんは裕子さんが書き残していた歌をまとめた上で、
歌集として出版したいと考えています」


わずか十数分の放映だったが、ここ数ヶ月のお二人の「塔」掲載歌を
思い出し、言葉が出なかった。わたしの歌はいつもと同じだったが
先に届いた「塔」11月号(詠草締切が8月、河野さん逝去の直後)が
会員たちの挽歌(死を悼む歌)であふれていたのも、わかった気がした。

ちなみに番組冒頭に引かれた河野裕子さんの歌は、初期の代表作。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
(歌集『森のやうに獣のやうに』)

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2009/06/05

「塔」09年03月号 吉川宏志選歌欄評(09年05月号掲載)

発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。

********* 引用はじめ *********

NHKで「介護百人一首」なる番組を時々やっていることもあり、今月はまず、身内の介護や人生の後半を詠んだ歌に心惹かれた。

時は濃く流れゆくなり紙パンツ嫌がる夫に泣き笑ひして 野島 光世
あけくれの介護のあはひ思ひたちポットを磨く顔うつるまで 同
夫のこと夫の目の前で詠んでいるそ知らぬ顔で辞書を繰りつつ 髙畑かづ子

「新樹集」に選ばれた野島さんの一連はずっしりと重かった。髙畑さんは生死の境をさまようご主人に付き添うという深刻な状況で、それを短歌に練上げている。お二人とも短歌の存在が救いとなっているのだろう。

介護なき別れの辛さ味わいしわが前を過ぎ車いすゆく 村瀬美代子

一方でこういう方もいらっしゃる。私自身は「介護」を「育児」に置き換えた経験しかないが、作品から伝わる、多くの先達のそれぞれの立場、家族への思いに心を馳せる。

ひと頃は早苗饗のたび股旅を踊りし友の車椅子に来る 相澤 大也

さなぶりとは懐かしい。「田植え祝い」は私も昭和四十年代にかろうじて経験したが、現代では死語か。作者は車椅子で来た友の元気だったころの姿に、過ぎた歳月を感じている。介護を詠うのは家族とは限らない。

絆とはいったい何だと言う友に死ねば分かるとサラリとかわす 哲 真
終の日のわが手を組めるだれかの手その手の今日は働きてゐむ 首藤よしえ

この二首も人生の最後を詠んでいる。哲真さんは友への返事になぞらえてサラリと自説を開陳した。首藤さんはなきがらになった自分の横にいる人影が誰か、実は想像できておられるのでは。漠然と感じるものを三十一文字にして伝えるのは難しいと思うが、想像の翼を広げれば作品の糸口がつかめるかも。

針金の円き支へに安らけく花を預けて菊開きゆく 金田 和子

ここからは植物の歌。この歌では四句までが結句をずっしりと修飾し、菊の花自身は逆に初句二句に下から支えられて安定している。歌と実景のバランスが逆転した意外感。

落ちてきた花こっぽりと受け止めて蓮の葉ぐらり揺れてもどれり 吉川 敬子

こちらは大きな花の存在感を、支える葉を主語にして詠んだ。「こっぽりと」がいい。

防犯灯光が及ぶ一画の大豆は実り拒みておりぬ 梶井 優子

日照時間で成長や結実が変わる植物はあまたあるが、大豆の立場で大豆の本能を描写して、畑の一画の人為的な光を際立たせた。

きっちりと等間隔に植えられた三色すみれに少し疲れる 山西 直子

作者が見た花壇の主はおそらく几帳面な方だろう。変な例えだが赤提灯も屋台ラーメンもなく小綺麗すぎる、ニュータウンの駅前を連想した。多少は遊びがあったほうが街の景色は面白い。整然としているだけでなく。

ラーメンのもやしの匂いは自転車で毎朝通る畑の匂い 山﨑 大樹  
  
食卓にのぼると畑の土臭さが消えてしまう野菜が多いが、もやしはそうでもないらしい。水栽培でひょろひょろなのに、不思議。

刈り取つたそば粉を貰へど持て余し棚から棚へとだうだう巡りす 福島美智子

お裾分けは歓迎される場合とその逆とがあるが、今回は後者。そばに打つこともできず捨てるわけにもいかず。下句に読者も苦笑。

側線を引きし跡をば拾ひ読むかの日のわれにあふがごとくに 田中 實

自分が引いたはずの傍線も、年月が経てば忘れてしまっていて新鮮に見えるかも。若き日を回想する作者の感慨が下句より伝わる。

パーラメントのCMこのごろ見なくなり師の好みたる香りもおぼろ 福井まゆみ
秒針をゆるめるように男たちは紫煙のなかに大き息つく 原田 直

近年の禁煙指向でタバコ臭くない空間が増えた。健康的には違いないが、古い映画やドラマで紫煙をくゆらす男たちの格好よさまで消えたら、ちょっと味気ない。福井さんは恩師お好みの銘柄の記憶がおぼろになっている。原田さんの歌は初句二句が特にいい。

知らぬ間に一年はやもわれの背にハンカチ落としのハンカチのよう 黒瀬圭子
このコップ使い始めて十年手術してからこんなに経った 伊藤恵美子

歳月を詠んだ歌。黒瀬さんは季節が一巡したことを背で感じた。伊藤さんは三句四句の句跨がり?で一息つきつつ、手術の予後を入院時から回想。年数の違いはあるがどちらも小道具のハンカチとコップが効果的。

来年のカレンダーに換へる夫未だ十二日今年があるに 財前 悦子

早々と新年用にカレンダーを換えてしまったご主人と、まだ残る師走の二週間弱を思う作者の温度差。五七五(夫)対七七(妻)。

英訳の夕顔の名はイヴニングフェイセス二十歳のキャロリンが読む 金治幸子

思わず「へぇ」の上句から四句。音読するのがキャロリンさんというのもいい。英語版源氏物語を一度読んでみたくなった。

ハワイアンキルトは貴重品ですか君に問いつつ預けるフロント 吉口 枝里

謎掛けのような不思議な歌だが、手縫いキルトは大変な手間暇がかかるもの。自作でも購入した完成品でも、貴重品には違いない。

氷雨降る氷川神社に契りたる百二十キロと百五十センチ 今村美智子

神前結婚式。天気は寒々していても、二人の心は温かかったことだろう。下句は新郎新婦の体格だが、男女をあえて語らず数詞だけを示したことで、どんなカップルなのか読者に想像の余地を残す、印象的な歌となった。

頭よりすっぽり包まれ四ヶ月児はお話し会へ連れられて行く 高木 節子

確かに乳児が自らお話し会に行きたがるとは思えないが、この結句は案外浮かばない。保護者でなく赤ちゃんに焦点を当てたことで平凡な親子の外出が新鮮な作品になった。

赤ちゃんを乗せていますのワゴン車がスピードあげて追越して行く 村尾淑蘭

子連れ外出でもこの保護者は急いでいるのか運転が荒い。「赤ちゃんを乗せています」ステッカーを見たら他の車は減速などして気遣うものだが、これでは貼った意味が無い。

犬の鳴く声だんだんと近づいて夜更けの町に救急車来る 八鍬 友広

近隣の犬たちの声から救急車が来たことを知った作者は、夜更けの戸外に意識を向けることで寝静まった街の異変を聴き取った。

パティオ越しに尿する音聞えくるその太々しきは羨しきまでに 新田由美子

これも自宅で聞く物音だが、落ち着けるはずの中庭で白壁の向こうの隣家の音が筒抜けとは。下句に作者の複雑な感情が見える。

紅葉のこの村の道人影なく湯配りらしき車の行けり 左近田栄懿子

街の風景でもこの歌は静か。「湯配り」が判らなかったが、訪問介護の移動入浴車だとすれば、実に簡潔に歌に織り込んだものだ。

********* 引用終わり *********

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2009/05/21

「塔」選歌欄評欄評(夢ネタ注意!)

タイトルはなんじゃこりゃ?ですが誤植ではありません。
【!以下はあくまでわたしがうたたねの夢に見た内容です!】

「塔」の半年会費が7500円から8000円に値上がりした。
というのも誌面がさらに充実し、こんなページが増えたから。

会員が気になる会員について熱く語る【連載】ページ。
「小学生の何々さんはこんな人柄で・・・」
「こういう職業人の誰それはこんな歌風」などを
ひとりが対象いち会員半ページとか使って語る。
永田主宰が、でもいいし誰かが誰かを、でもいい。

【あ、これはもう実現してますね(汗)過去に単発ですが
「私の偏愛する塔の歌人」投稿特集、はありました】

なぜか横書きページで「選歌欄評欄(の講)評」の新設。
特集のようなタイトルページに空港の大きな俯瞰写真があり
「あまたある会員の作品から(管制塔から見たごとく)
ピックアップして評した本欄を、識者(他の会員)が読んで
講評します。歌評の書ける人材をさらに増やす参考となれば」

ということで各選歌欄評子の引用した作品がリスト再掲され
その論評本文に他の誰かが講評を加える。
「この歌には、評以外にこういう解釈もありうるよ」
「この評はよい。解釈に新たな方向性を提示した」
もちろん「この評は歌評の形をとってはいるが、歌そのもの
被引用者本人よりも、評者の自分語りに堕ちてしまっている」
などなど。

・・・こんな夢を見ていたらしく、うたたねから目覚めた瞬間
誌面のレイアウトまでリアルに映像(絵)が脳裏に浮かんでいた。
「塔」は夢の中で、また少し分厚くなっていた。編集スタッフや
校正ボランティアの会員さんたちの、尽力のたまものとして。

時間があったのでそれをそのままキーボードに打ったのが↑。
【再度強調すると、ここまではあくまで夢ネタで現実とは違います】

・・・六ヶ月間「吉川宏志選歌襴評」を執筆させていただいた
ことが潜在意識にあったから、こんな夢を見たのかな?

実際、歌を選ばせていただいた作者(被引用者)の方複数から
いずれも達筆で丁寧な「選歌欄評掲載お礼」のお手紙が、
わたしの手元に届いている。

だからこそ被引用者の方【以外】からあの評本文がどのように
評価されたのか、わたし自身が知りたいだけかもしれない。


見てほめて私を私の作品をと叫ばぬ趣味のいずこにやある
(再掲、「塔」掲載の拙作より)


【2010/11/20追記】
当月から「塔」年会費が本当に値上げされました。
「作品2」会員会費半年7500円が半年9000円に。
このご時世なのに、なんと20年据え置きだったとか。
いい歌をつくり誌面に協力することで、応えたいです。

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2009/05/08

「塔」09年02月号 吉川宏志選歌欄評(09年04月号掲載)

お久しぶりのブログ更新です。

農繁期と言ったらプロ農家の皆さんに笑われそうだけど
苗の準備、畑(市民農園)の準備、植え付けなどと
ゴールデンウィークの家族大移動、そして半年続いた
最後の「塔」選歌欄評執筆などが重なっておりました。

また少しづつ復活しますのでお立ち寄りください。


さてタイトル。こちらも転載が遅くなりましたが
発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。

********* 引用はじめ *********

ビル光る進学塾の自転車のドミノ倒しや木枯し一号 宮良 米子
さあお食べ日能研の子どもたちでっかいNの荷は降ろさずに 相原 かろ 

 宮良さんの歌の自転車の主たちは、ビルに夕日が当たっていることも愛車が木枯らしに倒されたことも知らぬまま、鉛筆を握っている。相原さんの歌の日能研は首都圏屈指の中学受験塾。揃いのNマークリュックの子どもたちは弁当持参で深夜まで家に帰らず勉強する。塾通いの児童の姿は時代を反映しているが、歌の切取り方は作者ごとにさまざまだ。

段数を数える声がくだりおる下から二段目しばしとぎれて 岡山あずみ

 作者の聴いた声の主は地面まであと二段の位置まで来て足を止め、残りを一気に跳ぼうか思案したと思われる。姿の見えぬこの子の行動を読者にも想像させる、冷静な描写。

いくばくの余命と思はれし癌の子が初潮を迎へ年改まる 中山 光一

 同じ子どもでもこの少女への視線は温かい。初潮の年齢まで生きられ、また新年を迎えられた。彼女のために赤飯も炊かれたかもしれない。作者や周囲の感慨が伝わる歌。

エレベーター防犯カメラのぞき込み酔ひたる君は我を抱き寄す 田中 律子

 こちらは大人の相聞歌。「君」は防犯カメラの向こうに見せつけるために作者を抱き寄せたのか。作者は薄々ご存知かもしれないが、他の状況で「君」はどうなのだろう。

鉱石を発見するごと若き歯科医眼ぎらぎら口中覗く 髙嶋 肇

 次の歌に「美しき歯科医」とあるからおそらく女医。マスクの上の若き眼に口中を隅々まで観察される被診察者の落ち着かない心境が、初句二句・四句で表現された。

ところでと言葉あらためわが歳を問ふ理髪師を十年は知る 金井 一夫

 上句でこの理髪師の人柄が判る。不要な詮索をせぬ距離感が居心地よかったから、作者は十年来の常連になったのだろう。

五人みなメガネかけたる事務局員 会場湧けど俯きており 鵜原 咲子

 組織で働く職員たちの描写だが、あまり自分を出さぬタイプが集まったのか。主催イベントが盛り上がっても自分たちはひっそり隅に並んだまま。初句二句で地味な制服姿まで想像できそうだ。作者が観客の一人だったとすれば、この歌の気づきは素晴らしい。

雪の朝九千箱ものするめ烏賊市場に並ぶと活気づく街 大垣 保

 仕事場は仕事場でも、この歌はにぎやか。二句助詞を「の」でなく「もの」としたことで、ずらりとイカの箱が並ぶ市場の空間や喧噪、冬の朝の漁港の熱気まで見えてくる。

通勤の同じ時間に家を出て今日は日の出の阿武隈河口 佐藤 和彦

 毎日同じ時間でも季節のほうが日々変わる。通勤途上の作者に阿武隈河口の日の出が見えた。観光客には味わえぬ土地の者ならではの眼福が、調べのよい定型におさまった。

明け方の浅き眠りに夢ありて崖の上の家に男性が草刈る 久次米俊子

 この夏「崖の上の」といえば宮崎駿のアニメ映画で、劇中の家でも豊かな草がそよいでいた。作者の夢では(映画と同じ家だったかは不明だが)見知らぬ男性がその周囲の草を刈っていたという。まどろみの中の幻想的なイメージに、こころを遊ばせられる歌。

今日も又明日東の空に出るバスタオル干す位置はいつもここ 小橋扶佐子

 二句の読みは「あすひむがしの」か「あしたひがしの」か?上下句の落差を狙うなら前者、下句の生活感に合わせると後者。あるいは助詞を足して「あす<も>ひがしの」とすれば、初句二句の調べがより整うのでは。

朗々と朝の電話に責められぬ一時間十分受話器重たし 鈴木美代子

 朝の歌が続いたが、最後はいささか毛色が違う。早朝から叱責の長電話。朝から予定を狂わせられ、相手の剣幕に切るに切られぬ作者の思いが、初句と下句に表れている。

茄子あれば茄子のみの汁箱膳の食器洗わぬことは常にて 森 真澄

 私の昭和ひと桁生まれの父も同じ体験を語っていた。献立は旬の作物尽くしで、食後は漬物で器を清めて箱膳に仕舞ったそうだ。質素だが、女衆の洗い物の負担を減らし、今で言うエコな心遣いが豊かに思える戦前の夕食風景。現代に再現するのは難しいか。

年三回花を咲かせし野牡丹は越してしまいぬお団子屋連れて 早石 恵子

 近所の花がその主と共に転居する歌は他にもあるだろうが、この歌では野牡丹が主語に座り、持主のお団子屋一家が引立て役だ。作者の普段の気持ちが「団子より花」だったのだろうが、逆転で妙な可笑しみが生まれた。

呆けたる後にも母はふり向きぬ後妻という語に耳ひきつらせ 高橋万里子

 後妻と後ろ指さされた時代を過ぎ、認知症を患いながらも長生きしたのに、この言葉にはびくっと反応する作者の母。結句「耳ひきつらせ」にすべてが凝縮されている。

謹啓と書けば言の葉つながり来 母が逝去の通知の文章 樺澤 ミワ

 身内の死亡通知は書き出しが難しいが、作者は決まり文句に救われた。筆が走り始めた安堵感が、調べのよい二句三句より伝わる。

幸せだったと後の人らに伝えむといつも笑顔で撮られし母よ 林 雍子

 ということは、作者の母は自身を幸せとは思っていなかったかもしれない。撮影の度に作り笑顔を絶やさなかった母の写真(あるいは遺影かも)を見つめる作者。

手の窪が菊のやうにぞそそけ立つあねのこころを見てしまひたり 藤木 直子

 女きょうだいは互いに何かライバル意識を抱えたまま年を重ねる。作者は姉が隠してきた思いをふとしたことで知ってしまった。上句全体が「あねのこころ」を修飾しているが、実景でも姉の心象だったとしても、作者の驚きと内心のとまどいはずっと消えない。

感情の分類が増えていくことも大人になるということなのです 水口 典子 

 ネット短歌や前衛短歌にありそう、という第一印象だったが(他の歌から)作者はこのメッセージを思春期の娘に向けている様子。もし若い人が作者だったら、特に下句が生意気で鼻持ちならぬ歌と私には思えただろう。

教え子のダイナミックな抱擁をよろける足でしっかり支う 吉池 泰子

 他の歌から教え子が六十五歳と判るから、作者はもっとご高齢なはず。体型も体力も自分を越えた教え子の再会の抱擁に、のけぞりながらも踏みとどまる作者。何年経っても教師たることを忘れず教え子を包む作者を、私も師と仰げたなら・・・と羨ましく感じた。

ガムテープそうガムテープが入り用だ教室に来るとぞ思い出したり 芦田 美香

 教師は休み時間も準備に忙しいが、教室まで来て教材の忘れ物に気づくとは。内心の冷や汗を上句の口語体に上手く封じ込めたが、さてこの授業、首尾はいかがでしたか?

********* 引用終わり *********

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2009/04/09

「塔」09年01月号 吉川宏志選歌欄評(09年03月号掲載)

発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。

********* 引用はじめ *********

 1月は吉川選歌欄から新樹集に移った作者がいなかった。また当月に限ったことではないが、作品1の歌には生病老死と植物の歌が妙に多い印象がぬぐえない。草木染のようなおだやかな詠い口の連続も読むには悪くないけれど、年配の方が原色の服を素敵に着こなしたような、鮮やかな相聞や前衛的な内容がもっと混じっていれば、といつも思う。

我がなしし『秋草抄』も柩へと右腕近く収め退れり 永田 淳

 そんな私の感想とは別に、評はこの静かな挽歌から始めたい。河野君江さんを見送る一連を締めるこの歌は、孫であり故人の歌集を編んだ編集者でもある淳さんにしか詠めない作品だ。いつでも手に取れるよう君江さんの右腕近くに歌集を収めた作者の心遣いは、きっと煙とともに天国へ届いたことだろう。

冷水を飲みほしいたるしずけさの渡り廊下に消火器は立つ 秋場 葉子

 挽歌ではないがこちらも静謐な情景を切り取った歌。二句三句のひらがな使いが空間を感じさせ、銀色の冷水器と少し離れた場所にある(と思われる)赤い消火器とをつなぐ。

告げなむとするちょくぜんに風は立つ 少し散らばる髪の先など なみの亜子

 これはひらがな使いで「間」を表現している。「直前」だったらアニメによくある演出の話とは伝わりにくい。前髪や野原の草が風に不規則に乱される、あの繊細な動画表現。日本のアニメーションをパラパラ漫画から芸術に進化させた、テクニックの一端を思う。

吾は一度もせざりしものを手のモデルは指の股まで手を拭くという 小島さちえ
 
 手専門のモデル「手タレ」は水仕事を一切せず常に手袋着用で壁のボタンも押さない、などと私も伝え聞く。暮らしで一番酷使する両手を荒らしてはならない職業が存在するとは。作者の驚きが、初句二句より伝わる。

象と花の画かれし皿に熱あつのふろふき大根ひと切れを盛る 大内 奈々

 プロヴァンス風かはたまたエスニック系か、どう見ても和風ではない食器にふろふき大根が盛られる。よく見かけそうな光景だがテーブルセッティングの仕上がりは如何に。

子を生みし家を車窓に見むとしてあれよも言えず通り過ぎたり 阪上 民江

 これも「あるある」系の歌。車窓から既知の目標物を見つけても、連れの人に示して同感させる前に視界から消えてしまう。まして今回は思い出の家。作者はさぞ悔しかろう。

大縄に入る間合いをはかる背がすいっと夕映えにすくわれてゆく 池田 幸子

 大縄跳びでは、確かに子らはピョンとは跳ばず、間合いをはかってすいっと入る。ただバックの「夕映え」は実景なのか?ノスタルジックな情景だが、昨今の子は放課後忙しいから、大縄跳びなら休み時間の青空の方が似合いそうだと、私などは思ってしまう。

日本中の小学生の何割が今日秋晴れにソーラン踊る 川本 千栄

 近年運動会のダンスにロックソーランが大人気で、うちの子の小学校でも踊っていた。運動会は秋の土日の晴れた数日に集中して開催される。観覧者として出向く運動会はひとつだが、その場に立って全国へと意識を開いた作者の視線がユニークだ。

学び舎の裏の小川の清き流れ見下しいたるひとときありたり 横家 誠子

 当初「みくだしいたるひととありたり」と誤読してしまった。「見下ろす」とすべき。

ものをみな飲まんと濁流奔るゆえ伏せのかたちを川瀬とりいる 中島芙美恵

 主語が「川瀬」で、しかもそれを擬人法ならぬ犬の姿勢になぞらえている。川瀬のあの低く平らな形状が、増水時の濁流に耐えるための伏せの姿勢だったとは。新鮮な見立て。

自転車に気負ひて下る 真向ひの海へざんぶりと入る心地に 大塚 洋子

 急坂で自転車のブレーキを握ったときに前方が海だったら、怖い一方爽快感も半端ではない。「気負ひて」と「ざんぶりと」が効いて、スピード感あふれる海辺の歌となった。

雲海の彼方夕富士浮びゐて眼下信濃の稜線つづく 鳥居 妙子

 結句以外はきっちりと定型だが、機窓からの風景を読者の眼前に見事に広げて見せた歌。二つの地名が雲海でつながる雄大な美。

稲妻の言い分もあろうだがしかし黒焦げの電気製品を見よ 滝 友梨香

 異国の落雷で電気製品を黒焦げにされてしまった作者。天を仰いで稲妻に嘆く姿はお気の毒だが、語り口が悲壮感を薄めている。

杖・眼鏡・時計にリモコン手離して見えぬ父にこそ残りたるもの 林 泉

 杖以外は盲目の父上には不要となったモノばかり。杖も置いたとすれば、父上は推理小説に登場するアームチェア・ディテクティブに、なられたのかもしれない。視界は失われても経験からくる洞察力はより研ぎすまされたであろう父を思う、作者の視線が温かい。

鉄鉢を片手に電話する僧の携帯電話はあみ笠の中 小菅悠紀子

 今どきの托鉢僧は僧衣にケイタイを隠し持つのか。寄進する気も失せそうな煩悩。

そぞろ寒く抱く膝がしらめぐる血も前立腺も秋闌けにけり 片山 晋

 歌に前立腺が登場するとは驚いたが、結句の「闌」が全盛と衰退の両義を持つと知ったら、急に味わい深く思えてきたから不思議。片山さんの歌には肉感的な描写が多い。秋と作者の年齢観が呼応。

星座より星座をなぞる指先に見とれてしまう秋の高原 貞包 雅文

 誰の指先に作者は見とれたのか。作者と相手の間柄によっては相聞歌になりそうなドキドキ感。秋の高原との場所設定も良く、夜空の星座をなぞる彼か彼女の指先が浮かぶ。

風はなくみどりにそそぐ陽のおだしかかる日にこそ黄泉路を行かな 井上 恭子

 下句は縁起でもない話だが「成仏するなら穏やかな日に」との願いは万人の共感を呼ぶ。上句の何気ない風景が作者を動かした。

脱ぎ捨てていずこに行きしやかたつむり自在なるかな殻ほとびたる 斎藤ちづ子

 長野在住当時父母が使っていた「ほとばす(=吸水させる)」「ほとびる(=ふやける)」は方言だとずっと思っていたが、今回ちゃんと辞書にあって驚いた。かたつむりの抜け殻があったということは本体はなめくじになって去ったのか?作者の疑問は読者にも伝わるし、身軽になったかたつむりに寄せる作者の思いには、世のこどもがかたつむりを見て感じることとは違う何かがあったかも。その場で死んだかたつむりの身が腐って殻が残っただけ、と済ませては歌が成立しない。

弾みつつ並木を抜けて会いにゆく二時間前に生まれた人に 藤田 千鶴

 最後は生命の誕生。作者が出向くのは赤子に会うはもちろんだが、その母親を祝福するためでもある。無事出産の報に足取り軽い作者の高揚感が初句に表れ、並木を抜けるとぱあっと広がるだろう風景が心象と重なり、二句の味わいを深めている。読者も幸せをお裾分けされたようで、思わず顔がほころぶ歌。

********* 引用終わり *********

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2009/03/02

「塔」08年12月号 吉川宏志選歌欄評(09年02月号掲載)

発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。

********* 引用はじめ *********

ホバーリングすっと行ってはホバーリング思索の果てに塩辛蜻蛉 梶野 敬二

庭先に法師蝉鳴くトレモロが巧い三回を鳴き去るも良し 上田 充子

初秋の詠草なのでトンボや蝉の歌は多かったが、この二首はどちらもカタカナの専門用語を取り入れた細かい観察が印象に残った。梶野さんの歌はヘリコプターの描写かと思わせて下句でぐっと焦点が定まる。上田さんは蝉の声をトレモロと聴き取った点が巧い。

「渇水」という小説を書いた奴いまごろどこで何を飲み居る 能登 鳶

小説名と下句のぶっきらぼうな口調が効いて、友に寄せる作者の思いがうかがえる。

日本語が理解できないフランソワ上目使いで新郎の席 あかり

国際結婚か。異国の挙式披露宴の進行を飲み込めぬまま新郎の扱いを受けるフランソワ氏のぎこちない所作が、四句に表れている。出自がどうであれ、彼は通過儀礼を無事クリアして妻の里に受け入れられた。ご多幸をお祈りします。

顔映るごとく研がれし包丁を受け取りビビッと背筋伸びたり 大西 明未

四句「ビビッと」はやや軽いようにも思えるが、研ぎたての刃物を手にする緊張感はこの一首から過不足無く伝わってくる。

海へ行く約束をした父 病める子を持つ母もをりけむツインタワーに 安藤 純代

九月十一日の米同時多発テロ。望まず命を落とした幾百名の陰に、残された家族や暮らしがあったはず。推量ではあるが犠牲者個人の人生に着目したことで、味わいが増した。

隣家よりゴミのポスター借用し仕訳し直すはらから老いたり 樺沢 ミワ

母上を送る一連中の歌のため「はらから(母を同じくする兄弟姉妹)」の語が重い。葬儀のために集まり手分けして後始末するきょうだいを、作者は冷静に見つめる。

この味を嫌がりし亡母思ふなりウィダーつるりと飲み込みながら 今村美智子

レトルト風の栄養食は手軽だが、袋の金属臭さや口元のプラスチックに違和感があり、味も舌触りも決して良いとは言いがたい。亡き母上もかつて健康だったころの食事にもっと近いものを、食したかったのだろう。残された者が飲食時に故人を想う歌は過去にもあるが、商品名を入れたことで老人介護の実態をも伝える時事詠的要素が加わった。

十本は二重三重くるまれて息苦しヤクルトになりたくはなし 助野貴美子

作者は手のひら大の乳酸菌飲料十本組に着目し、さらに下句で自己の内面に踏み込んだ。二重の意味でユニークな歌。四句十文字の思い切った字余りも窮屈感を演出。

ものを作る仕事が嫌でネクタイを締めて十年ものを作りたし 山﨑 大樹

本作「ものを作る」は「手を動かす」と同義。事務方のキャリアが長い作者が書類以外に触れる仕事もしてみたくなったということか。今後転身を果たせるかは不明だが勤続十年、作者の閉塞感がうかがえる。

下熱剤二度のみながら北の峯ハイツに向かう深夜勤務の孫は 近藤 桂子

素の顔にすつと戻れり購読を断りしとき販売員は 首藤よしえ

「職場詠」とは少し違うが仕事ぶりを描写した二首。近藤さんのお孫さんの体調が悪くても夜勤を休めぬ歌。初句は「解熱剤」だと思うし結句のふりがながやや強引だが、三句四句の勤務先名が効いている。首藤さんに購読を断られ営業スマイルを取り下げた新聞販売員はどんな「素の顔」を見せたのか。

見送りの人残し来て振り向けばコンビニの旗がふっと隠せり 中出佐和子

現代的な光景。コンビニ前で人と別れて歩き出し、振り返った作者には、はためきは邪魔だったのか、それとも遠景を見ずに済んでほっとしたか。 

ネットにて予約をしたるホテルには吾が名を載せる古き宿帳 八鍬 友広
  
この歌もある意味時事詠だが余情がある。ネット予約が可能になったホテルでも、予約客の名は(おそらく手書きの)昔からの書式の宿帳に記されていた。すべてをコンピュータ化してしまわないところは宿経営陣の心意気か、スタッフ間の温度差か。江戸時代の商家の大福帳も、非常時の水濡れに耐えるよう和紙に墨書、を変えなかったという。

草鞋虫・蚯蚓に蟻を掘り見せて孫たじろがす妻の執着 原田 直

団子虫を飼ふ幼な子は三角のふんもするよとはにかみて言ふ 結城 綾乃

現代っ子が土に親しむ機会が減ったなどと報道されるが、大自然に興味を示す子と示さぬ子が居るだけで、これは古来変わらない。ミミズやアリを無理矢理見せて孫をたじろがせる祖母と、ダンゴムシが好きで細かく観察できる孫。子育て孫育てに気負いは必要か?今回は結城さんの歌の幼な子に一票。

習いいし建築の本取りに来て子供のとびひを娘は言いてゆく 奥野 侑子

建築を学ぶ娘が立ち寄って子供のとびひを話題にしたという。とびひの音が鳶職を連想させる程度で上下句に特に脈絡はないが、取り合わせの意外さは成功していると思う。

孫のなきさびしさ友に書きたれば子のなきことを認めて来ぬ 船曳 弘子

子や孫を持たぬ人は世にあまた存在するのだが「所帯を持って子を産むべし」なる旧来の価値観が強い環境では「持つ」人への複雑な感情もぬぐいきれないと聞く。友からの返信は作者の心を軽くしたのだろうか。

ちかぢかと顔覗き込み死んだかと思ったわよと小声に言えり 須磨岡 繁

作者が男性だから妻の言葉と推測するが、何から目覚めたか?やセリフの声音次第で解釈が割れそうな内容だ。この状況を冷静に歌にまとめた作者にも驚いた。

メガネ光り顔の失せたる人がゆく手繋ぎの兒がちよこちよこつきて 大畑 とさ

マンガではあえてメガネの下の眼を描かない表現があったりするが、現実にこういう顔が歩いていたらちょっと怖い。この歌では下句から年齢性別も推測できて、なお不気味。

二階よりよしず吊せば商家めき氷小豆の食べたくなりぬ 梅田 啓子

なぜ「商家めく」で「氷小豆」なのか唐突感は否めないが、大きなよしずが一気に暑さと生活感を消した感じは伝わる。プレハブや鉄骨でなく古い木造の家なら尚良し。あるいは作者は時代劇の茶店でも連想したか。

いけばなの教室生がひとりやめ秋風すうと通りぬけゆく 田口 朝子

華道の経験は無いが(教室でもお座敷でも)受講生ごとに一定の広さを確保して、花材や道具を広げて制作すると想像する。長く続けていれば各々の席もある程度決まっていたかもしれない。その一人が教室を去り、彼女の場所だけが空間となって残された。下句の風が暗示するのは季節の移ろいだけではなく、居合わせた作者の喪失感でもあろう。


********* 引用終わり *********

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2009/02/03

「塔」08年11月号 吉川宏志選歌欄評(09年01月号掲載)

発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
この号を皮切りに半年間、吉川襴の歌について書く予定です。

以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。

なお「塔」では入会一年以内は「若葉集」の襴に掲載され、
その後「作品2」襴掲載を経て会員推薦などにより
「作品1」「月集」と昇襴していきます。

吉川さんは「作品1」または「作品2」の選者です。

月集以外の詠草は毎月ランダムに担当選者に振り分けられ
会員からの選者指名はできない仕組みになっています。


********* 引用はじめ *********

民宿の客ある時もない時も機嫌がよろし池のメダカは 竹之内重信

半年間の選歌欄評を引き受けて、初回の今回がいきなり作品1。歌歴の長い皆さんの歌を評する緊張感でガチガチだった私だが、この歌を見てすうっと楽になれた。人間の事情に関係なく飄々と泳ぐメダカに習い、私も肩の力を抜いて自分なりの評をしていきたい。

五十年前二千円なりし受刑者の手作り書棚は今も廊下に 浜井 鈴子

刑務所家具の即売会は丁寧な細工と手頃な価格で人気だという。この五十年前わずか二千円だった書棚が、半世紀を経て今も廊下にある。作った受刑者のその後は不明だしあるいはこの世に居ないかもしれないが、彼の知らぬところで彼の作品が大切にされている。罪と罰と人生を考えさせられる歌。

ブランコの順に並びて降りる迄父待ちくれしベンチも消えぬ 足立 久子

他の歌から作者の父上は既に鬼籍に入ったと判るが、作者の記憶にはブランコ遊びそのものよりも、幼い自分を待ってくれていた父の姿がある。ベンチが撤去された現在も、そこに座っていた父の残像が成長した作者を見守っている気が、するのかもしれない。

絶対に金の苦労はさせないと言った筈だと義父に責めらる 吉田 健一

こちらは義父の歌だが、この不況下にお義父さんそんなご無体な・・・とは婿は言いづらいかも。娘思いの義父の気持はわかるが。

父母死してわれに残りし夫・子なり子には子ありて子の夫がある 河原 篤子

親を亡くしても作者には家族があり、その作者の子にも家族がある。下句には「たとえ私(作者)がこの世を去っても子には家族がいる」という成人した子への親心も感じられ、事実をあえて歌にすることで味わいが生まれるいい例だと思った。

朝まだき蝉ものうげにふた三声やがていのちの限り沸くべし 加藤美智子

夏は気がつけば蝉の声に囲まれているが、夜明け前は静かなはず。その境目の瞬間を耳でとらえて的確に描写。「べし」が力強い。

あぶら蝉あみ戸に止まり鳴くまひる 帰り来て窓あけられず待つ 藤本 恵子

こちらは昼間の蝉。鳴く蝉の開放感と窓を開けられない作者の閉塞感が、音読すれば(三十一字中十一字と)多用されたア列音で、字づら的には繰り返されるひらがなの「あ」で、表現されている。でも作者にはちょっとお気の毒さまでした。

蝉の声浴びつつゆけば少しづつ頭は広くなる空に向かいて 秋場 葉子

夏の森に足を踏み入れると、奥まるにつれて蝉の声の半円ドームが広がり、側方後方に聴覚アンテナが伸びてゆく気がする。もちろん前方上方にもだ。作者はこの感覚を三句以降で簡潔に言い切った。特に四句に感服。

よちよちとガラスを昇る一匹に背景があり灰色の空 松木のり子

こちらは蝉とは限らないが、ガラスを昇る生き物の向こうに背景があった。言われてみれば当り前だが、見る心が無いと見えないのも事実。「灰色の空」がくっきりと立つ。

お座敷でよろしいですかとたずねつつ下半身へと視線は走る 小島美智子

年配者は座布団を好み若い人は洋室を選ぶ。そんな時代もあったように思うが、今どきは年配者でも体調の加減で、足を降ろせる椅子座を好む場合が少なくない。結句から作者は接客される側だと読み取った。店員の視線はあからさまで不躾だが、通す座敷の座り方が客(作者)の足腰の具合と合うかを見極めようとする、心遣いかもしれない。

眼球のごときやはらかさを持ちて夕日とろりと沈みゆく見ゆ 千名 民時

第一印象で結句の「見ゆ」は無くても?と思ったが、この歌では必然性があるらしい。「眼球」と「見ゆ」、「やはらかさ」と「とろりと」といった縁語使いが効いて、沈む夕日の溶けゆくごとき質感と、見守る作者のリラックスした表情とがうかがえる。

聞き覚えある話し声隣り家の逝きし人の子帰省しており 山内 貞子

隣家から亡くなった人の話し声?声がよく似たその方の子が帰省していたという種明かしだが、作者はさぞ驚いたことだろう。結句で一気に事情が判るが、客観描写に徹したおかげか説明くさくない締め方になった。

大の字になれと畳が呼んでゐる変えたばかりのたたみの声で 塩谷いさむ

立っているのもやっとなほど疲れたとき、私も「地面が私を呼んでいる」を実感した経験がある。作者は変えたばかりの真新しい畳に呼ばれたという。直前の畳替えが重労働だったのだろうか。それにしても「たたみの声」とはどんな声だったのだろう。

ねばねばで厚かましくてやっかいでわれらひとかたまりの人件費 深尾 和彦

結句に驚いた。人減らしで経費削減を望む雇い主の立場から、自分を含む一団を形容した上句の大胆さ。仕事を死守したい被雇用者の一人として、労使間の緊張した空気を(知らぬ人にも)生々しく伝える社会詠だ。

歩道橋の手すりをもっともっともっと高くしてほしいさもなくば   同

作者に解き放ちたい、あるいは解き放たれたいモノや事(あるいは人か人生か?)があるのだろうが、具体的に判らないところが読者の不安をよりあおる。切実な叫び。

激辛のはららで熱き飯にのす文月みたりめの死をききし夕 鮫島 浩子

「はららで」では辞書に無かったが「はららご(=イクラ筋子の類)」のことと推測。「ご」の手書き文字が「で」と誤植されたのかもしれない。いずれにせよ暑い季節に訃報が続いた事実を、汗の出るような食べ物で受け止めようとする作者の行動が面白い。

ヒオウギの咲ける傍えに週に二度黄のゴミ袋並ぶ朝あり 永田 淳

ヒオウギの花にも何色かあるが、この歌にはやはり黄色だろう。私の街でも週に二度、黄のゴミ袋の収集日がある。玄関先に出す自治体も収集場を置く自治体もあるそうだが、丹精されて咲き誇る花の美しさがゴミ袋の生活感で損なわれる残念さは、変わらない。

鎌倉へ抜くる舗道にゆふぐれの風立ちぬ単騎過ぎゆくほどの 村上 和子

馬一頭が通過する程度の風?普段実感することはまず無い感覚だが、なぜか説得力のある比喩だ。鎌倉という地名のせいか競馬場のヘルメット姿の騎手ではなく中世武士の軽やかな騎乗姿が連想された。作者には蹄の音の空耳も、あったかもしれない。

尾根の上にアキツアカネとわたくしと秋田、岩手に手を垂れている 江種 泰榮

登山行を描いた一連の中央に置かれた歌。両足が県境の細い稜線を踏んだとき、作者の全身は二県にまたがっていたという。結句の垂れた両手の先には見下ろす左右の景色が、二句のアキツアカネからは雄大な空が見えるようだ。この県境でなくてもよいが、この景色を追体験しに登山に出かけたくなった。

********* 引用終わり *********

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2008/04/21

「塔」08年04月号<作品2・真中朋久選>10首選

数百の名を持つものとして雲のすべては水であるということ 池田行謙

三度目の余命半年告げられし義姉は車中に編む手休めず 青木朋子

演奏会我に取りては生前葬《冬の旅》歌うさよならと歌う 家無木流美

母となる孫の便りよ女児にして一・五キロ現在元気と 石崎妙子

回覧板持ち見上げいる門扉まで今は手すりの欲しき石段 北村英子

群集とイルミネーションまぶしくて広場を横切る事が出来ない 五宝久充

淋しさに冬野を訪ひぬ友の死に昼の月見て夜の月見る 炭 陽子

各部屋に各年代の父が居てあふれる物に母の影濃く 林 広樹

やけっぱちきらきら星のメロディーで歌っています「せなかがいたい」 原ゆきこ

来週も同じ人らに逢いたしと強く思いて去ぬるホスピス 安川良子


出詠109名。「百葉集」に一首引用されている関山正雄さんの連作が
この集ではリアルな労働詠として、印象に残った。

部品仕上ぐる切粉は熱く身にかかり機油帯ぶる白煙すさまじく立つ
部品浸す機油の冷たさひたひたと身に沁み透る冬は来にけり
一年を共に働きし機械磨き納めにと汲む酒が身に沁む
病持つ我が事もなく一年働き機械丹念に磨き終へたり

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2008/04/17

「塔」08年04月号<作品2・吉川宏志選>15首選

けふ人に触るることなき手のひらに湯に浮く柚子を握りしめたり 梅田啓子

懐石料理は遺影の前にも置かれゐる火皿の付きしミニコンロも混じり 尾崎知子

「ゆかしかりしかど」がうまく読めぬ子らにハイもう一度ハイもう一度 芦田美香

亡き父の文今一度開くれば ハネのハライの活き活きしたり 太田 愛

千鳥掛けきれいに為しゆく夫の指見てをり二人で過ぎゆく日々に 数又みはる

銀の皿、銀のスプーン磨きつつ明日来る人の爪など思う 加藤都志恵

「品格」の文字見ておれば真四角の多きことのみ気になりている 黒沢弘子

あおぞらが憎悪に変っていくまでをきっちりと革の手袋を嵌める 沢田麻佐子

しろたへの嫂(あね)の行水かいまみし宵に狐の嫁入りありぬ 鈴木俊春

川崎に瓜二つだと云われおり我の息子は盗塁せぬぞ 哲 真

今年また市民プラザの塀にある烏瓜と綱引きをした 西崎信子

生まれでた赤ちやんと母が寝るベッド見しより仁の幼児期終わる 林 雍子

娘には娘の胸のあることを忘れて男物のシャツ買う 杜野 泉

垣根越し人の胴体流れゆくテロップのように元日の朝 井上良子

新藁の香りの帯の流れきて吾をひと巻きふた巻きにする 本嶋美代子


あまり選ばなかったが、夜の月や昼の空を見上げる歌が目立った集だった。
(出詠108名)

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