批評の集会
忌憚なき評求めしがねぎらいと褒め言葉満つる縫い物の会
以前「塔」に掲載された歌。短歌をたしなむ人は四句まで読んで
「これが歌会だったら意味ないじゃん!」と思ったかも。
逆にこれを読んだ縫い物友達は、わたしを嫌いになったかも。
なぜ縫い物の集会ではこうなのか、わたしには想像がつく。
かつて短歌は貴族の遊びだったけど、裁縫、染織は庶民の女の
生活必須技術だった。家庭での針仕事が家事から趣味になったのは
既製服が出現した近代以降だから、縫い物の遊びとしての歴史は浅い。
それ以前は長い間、例えば農家の女は家族の衣服を整えるために、
自分の空き時間のほとんどを機織りや糸つむぎに費やしていた。
その単調な作業を少しでも楽しくするために、夜なべの会とか
縫い物の会が村や近所で催されたときく。そういう場ではおそらく
他人の作品をずけずけ批評するよりは「おたがい大変ねぇ」みたいに
作業自体をねぎらいあったり世間話のほうが多かったのではないか
と想像できる。染織裁縫が趣味と変わった現代も、制作作業に
手間ひまかかることには変わりないから、やはり批判的な感想は
面と向かっては言いにくいはず。だから現代の縫い物の会で
作品の相互批判が少ないのは、わたしには納得できるのだ。
他人に認められたかったり、ほめられたかったら、極端な話今から
キルトやソーイングをがんばって、同好の士に作品を見せればいい。
悪い言葉は言われないから、居心地は悪くないのだ、今考えると。
(ただしこの一文で、わたしは縫い物仲間全員を敵に回して
しまったような気がする。暗黙の了解みたいなものだったから)
さて、では短歌は?わたしは「塔」以外の歌の集会に出た事がないから
限られた経験になるけれど、匿名で出された作品を皆ずけずけと
批評しているほうだと思う。その作品をもっと判りやすく良いものに
したい一心からだ。短歌一首の制作時間は、縫い物のそれよりは
短い場合が多いと想像する。短歌では実作より批評や評論のほうが
もしかしたら字数も手間もかかっているかもしれない。それが関係
しているかどうかは判らないけど、例えば縫い物作品の場合のように
「この歌、よくぞこの言葉を見つけたね」とか「こんな凝った構成、
考えるのに時間かかったでしょう」などと、制作過程自体をねぎらう
批評が短歌にあったとしたら、その方が変ってことになっている。
(例えばある歌人のファンが本人を囲んで持ち上げまくるような、
限られた集団の中だったらありそうだけど、わたしは知らない)
つまり、分野によって感想や批評の出し方も違うというわけだ。
他人の短歌作品を評する姿勢について考えるとき、わたしはいつも
他の芸術の場合は?と思いをはせる。例えば絵画で、例えば映画や
テレビドラマで。まだうまく言えないけど、次の作品が少しでも
よいものになるように、批評や相互批判は必要だ。短歌の世界では
批評や評論はその目的のために、うまく機能しているんだろうか。


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