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2012/02/12

趣味について考えた

見てほめて私を私の作品をと叫ばぬ趣味のいずこにやある
(「塔」08年03月号掲載)


こんな短歌をかつて詠んだ。
「いずこにやある」=「どこにあるの?そんなの無いじゃん」
つまり趣味ってみんな自己顕示欲のためじゃない?という内容。


でも最近ちょっと違うんじゃないかって思っている。
わたしのいくつかの趣味のうち、最近経験したあれこれから:

*自分も習ってみて初めて、すごい人のすごさを思い知った。
なのにそれが「自分がやめる」動機にならなかった。
だって練習が楽しくて。下手って判っていてもすこーしずつ
上手になってる自分自身が、ひたすらうれしくて。

*だれも見てくれない、ほめてくれないと判っていても
だから「それに取りかからない」理由には、ならなかった。
技術と材料と道具と時間が手元にあって、表現したいものがあって。
構想を現実のものにする過程は、取りかかってみたら
それだけで楽しくて楽しくて。

*「それ、どこで発表するの?」「それ、何のために作るの?」
この質問に答えられないコトには、取りかかってはいけないの?
たかが趣味、されど趣味。他人の評価を求めるだけだったら
あれだけの時間も気持ちも経済的なあれこれも、
つぎこめるわけがないんじゃないかしらって。


知らないものを知ることは楽しい。知ったものを生かすのは楽しい。
練習、制作。他人からからみたら単調な作業や手間が続くとしても、
そしてその成果が一生日の目を見ずに終わったとしても。
当人が過程を苦にしない限り、それは充実したひとときだったはず。

冒頭の短歌も趣味のいち側面をとらえているとは思うけど、
それだけじゃないと感じるようになった、今日このごろ。


そういえばもっと昔、短歌を知らなかったころに書いた標語がこれ:

「才能がある」とは違いが判ること。好きで、続いて、身につく分野。
(2001/3/13 旧ホームページ「白玉だんごの道具箱」で発表)

「続かなかった」ことはレベルに関係なくその人に向いてなかっただけ。
「続く」だけでその人にはその分野の適性があるのだと思う。
だから、もしわたしにも「続く」何かがあるのなら(いやあるのだから)
これからもつねに謙虚に学び続けたい。そして手を動かし続けたい。

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