お久しぶりのブログ更新です。
農繁期と言ったらプロ農家の皆さんに笑われそうだけど
苗の準備、畑(市民農園)の準備、植え付けなどと
ゴールデンウィークの家族大移動、そして半年続いた
最後の「塔」選歌欄評執筆などが重なっておりました。
また少しづつ復活しますのでお立ち寄りください。
さてタイトル。こちらも転載が遅くなりましたが
発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。
********* 引用はじめ *********
ビル光る進学塾の自転車のドミノ倒しや木枯し一号 宮良 米子
さあお食べ日能研の子どもたちでっかいNの荷は降ろさずに 相原 かろ
宮良さんの歌の自転車の主たちは、ビルに夕日が当たっていることも愛車が木枯らしに倒されたことも知らぬまま、鉛筆を握っている。相原さんの歌の日能研は首都圏屈指の中学受験塾。揃いのNマークリュックの子どもたちは弁当持参で深夜まで家に帰らず勉強する。塾通いの児童の姿は時代を反映しているが、歌の切取り方は作者ごとにさまざまだ。
段数を数える声がくだりおる下から二段目しばしとぎれて 岡山あずみ
作者の聴いた声の主は地面まであと二段の位置まで来て足を止め、残りを一気に跳ぼうか思案したと思われる。姿の見えぬこの子の行動を読者にも想像させる、冷静な描写。
いくばくの余命と思はれし癌の子が初潮を迎へ年改まる 中山 光一
同じ子どもでもこの少女への視線は温かい。初潮の年齢まで生きられ、また新年を迎えられた。彼女のために赤飯も炊かれたかもしれない。作者や周囲の感慨が伝わる歌。
エレベーター防犯カメラのぞき込み酔ひたる君は我を抱き寄す 田中 律子
こちらは大人の相聞歌。「君」は防犯カメラの向こうに見せつけるために作者を抱き寄せたのか。作者は薄々ご存知かもしれないが、他の状況で「君」はどうなのだろう。
鉱石を発見するごと若き歯科医眼ぎらぎら口中覗く 髙嶋 肇
次の歌に「美しき歯科医」とあるからおそらく女医。マスクの上の若き眼に口中を隅々まで観察される被診察者の落ち着かない心境が、初句二句・四句で表現された。
ところでと言葉あらためわが歳を問ふ理髪師を十年は知る 金井 一夫
上句でこの理髪師の人柄が判る。不要な詮索をせぬ距離感が居心地よかったから、作者は十年来の常連になったのだろう。
五人みなメガネかけたる事務局員 会場湧けど俯きており 鵜原 咲子
組織で働く職員たちの描写だが、あまり自分を出さぬタイプが集まったのか。主催イベントが盛り上がっても自分たちはひっそり隅に並んだまま。初句二句で地味な制服姿まで想像できそうだ。作者が観客の一人だったとすれば、この歌の気づきは素晴らしい。
雪の朝九千箱ものするめ烏賊市場に並ぶと活気づく街 大垣 保
仕事場は仕事場でも、この歌はにぎやか。二句助詞を「の」でなく「もの」としたことで、ずらりとイカの箱が並ぶ市場の空間や喧噪、冬の朝の漁港の熱気まで見えてくる。
通勤の同じ時間に家を出て今日は日の出の阿武隈河口 佐藤 和彦
毎日同じ時間でも季節のほうが日々変わる。通勤途上の作者に阿武隈河口の日の出が見えた。観光客には味わえぬ土地の者ならではの眼福が、調べのよい定型におさまった。
明け方の浅き眠りに夢ありて崖の上の家に男性が草刈る 久次米俊子
この夏「崖の上の」といえば宮崎駿のアニメ映画で、劇中の家でも豊かな草がそよいでいた。作者の夢では(映画と同じ家だったかは不明だが)見知らぬ男性がその周囲の草を刈っていたという。まどろみの中の幻想的なイメージに、こころを遊ばせられる歌。
今日も又明日東の空に出るバスタオル干す位置はいつもここ 小橋扶佐子
二句の読みは「あすひむがしの」か「あしたひがしの」か?上下句の落差を狙うなら前者、下句の生活感に合わせると後者。あるいは助詞を足して「あす<も>ひがしの」とすれば、初句二句の調べがより整うのでは。
朗々と朝の電話に責められぬ一時間十分受話器重たし 鈴木美代子
朝の歌が続いたが、最後はいささか毛色が違う。早朝から叱責の長電話。朝から予定を狂わせられ、相手の剣幕に切るに切られぬ作者の思いが、初句と下句に表れている。
茄子あれば茄子のみの汁箱膳の食器洗わぬことは常にて 森 真澄
私の昭和ひと桁生まれの父も同じ体験を語っていた。献立は旬の作物尽くしで、食後は漬物で器を清めて箱膳に仕舞ったそうだ。質素だが、女衆の洗い物の負担を減らし、今で言うエコな心遣いが豊かに思える戦前の夕食風景。現代に再現するのは難しいか。
年三回花を咲かせし野牡丹は越してしまいぬお団子屋連れて 早石 恵子
近所の花がその主と共に転居する歌は他にもあるだろうが、この歌では野牡丹が主語に座り、持主のお団子屋一家が引立て役だ。作者の普段の気持ちが「団子より花」だったのだろうが、逆転で妙な可笑しみが生まれた。
呆けたる後にも母はふり向きぬ後妻という語に耳ひきつらせ 高橋万里子
後妻と後ろ指さされた時代を過ぎ、認知症を患いながらも長生きしたのに、この言葉にはびくっと反応する作者の母。結句「耳ひきつらせ」にすべてが凝縮されている。
謹啓と書けば言の葉つながり来 母が逝去の通知の文章 樺澤 ミワ
身内の死亡通知は書き出しが難しいが、作者は決まり文句に救われた。筆が走り始めた安堵感が、調べのよい二句三句より伝わる。
幸せだったと後の人らに伝えむといつも笑顔で撮られし母よ 林 雍子
ということは、作者の母は自身を幸せとは思っていなかったかもしれない。撮影の度に作り笑顔を絶やさなかった母の写真(あるいは遺影かも)を見つめる作者。
手の窪が菊のやうにぞそそけ立つあねのこころを見てしまひたり 藤木 直子
女きょうだいは互いに何かライバル意識を抱えたまま年を重ねる。作者は姉が隠してきた思いをふとしたことで知ってしまった。上句全体が「あねのこころ」を修飾しているが、実景でも姉の心象だったとしても、作者の驚きと内心のとまどいはずっと消えない。
感情の分類が増えていくことも大人になるということなのです 水口 典子
ネット短歌や前衛短歌にありそう、という第一印象だったが(他の歌から)作者はこのメッセージを思春期の娘に向けている様子。もし若い人が作者だったら、特に下句が生意気で鼻持ちならぬ歌と私には思えただろう。
教え子のダイナミックな抱擁をよろける足でしっかり支う 吉池 泰子
他の歌から教え子が六十五歳と判るから、作者はもっとご高齢なはず。体型も体力も自分を越えた教え子の再会の抱擁に、のけぞりながらも踏みとどまる作者。何年経っても教師たることを忘れず教え子を包む作者を、私も師と仰げたなら・・・と羨ましく感じた。
ガムテープそうガムテープが入り用だ教室に来るとぞ思い出したり 芦田 美香
教師は休み時間も準備に忙しいが、教室まで来て教材の忘れ物に気づくとは。内心の冷や汗を上句の口語体に上手く封じ込めたが、さてこの授業、首尾はいかがでしたか?
********* 引用終わり *********
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