発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。
********* 引用はじめ *********
1月は吉川選歌欄から新樹集に移った作者がいなかった。また当月に限ったことではないが、作品1の歌には生病老死と植物の歌が妙に多い印象がぬぐえない。草木染のようなおだやかな詠い口の連続も読むには悪くないけれど、年配の方が原色の服を素敵に着こなしたような、鮮やかな相聞や前衛的な内容がもっと混じっていれば、といつも思う。
我がなしし『秋草抄』も柩へと右腕近く収め退れり 永田 淳
そんな私の感想とは別に、評はこの静かな挽歌から始めたい。河野君江さんを見送る一連を締めるこの歌は、孫であり故人の歌集を編んだ編集者でもある淳さんにしか詠めない作品だ。いつでも手に取れるよう君江さんの右腕近くに歌集を収めた作者の心遣いは、きっと煙とともに天国へ届いたことだろう。
冷水を飲みほしいたるしずけさの渡り廊下に消火器は立つ 秋場 葉子
挽歌ではないがこちらも静謐な情景を切り取った歌。二句三句のひらがな使いが空間を感じさせ、銀色の冷水器と少し離れた場所にある(と思われる)赤い消火器とをつなぐ。
告げなむとするちょくぜんに風は立つ 少し散らばる髪の先など なみの亜子
これはひらがな使いで「間」を表現している。「直前」だったらアニメによくある演出の話とは伝わりにくい。前髪や野原の草が風に不規則に乱される、あの繊細な動画表現。日本のアニメーションをパラパラ漫画から芸術に進化させた、テクニックの一端を思う。
吾は一度もせざりしものを手のモデルは指の股まで手を拭くという 小島さちえ
手専門のモデル「手タレ」は水仕事を一切せず常に手袋着用で壁のボタンも押さない、などと私も伝え聞く。暮らしで一番酷使する両手を荒らしてはならない職業が存在するとは。作者の驚きが、初句二句より伝わる。
象と花の画かれし皿に熱あつのふろふき大根ひと切れを盛る 大内 奈々
プロヴァンス風かはたまたエスニック系か、どう見ても和風ではない食器にふろふき大根が盛られる。よく見かけそうな光景だがテーブルセッティングの仕上がりは如何に。
子を生みし家を車窓に見むとしてあれよも言えず通り過ぎたり 阪上 民江
これも「あるある」系の歌。車窓から既知の目標物を見つけても、連れの人に示して同感させる前に視界から消えてしまう。まして今回は思い出の家。作者はさぞ悔しかろう。
大縄に入る間合いをはかる背がすいっと夕映えにすくわれてゆく 池田 幸子
大縄跳びでは、確かに子らはピョンとは跳ばず、間合いをはかってすいっと入る。ただバックの「夕映え」は実景なのか?ノスタルジックな情景だが、昨今の子は放課後忙しいから、大縄跳びなら休み時間の青空の方が似合いそうだと、私などは思ってしまう。
日本中の小学生の何割が今日秋晴れにソーラン踊る 川本 千栄
近年運動会のダンスにロックソーランが大人気で、うちの子の小学校でも踊っていた。運動会は秋の土日の晴れた数日に集中して開催される。観覧者として出向く運動会はひとつだが、その場に立って全国へと意識を開いた作者の視線がユニークだ。
学び舎の裏の小川の清き流れ見下しいたるひとときありたり 横家 誠子
当初「みくだしいたるひととありたり」と誤読してしまった。「見下ろす」とすべき。
ものをみな飲まんと濁流奔るゆえ伏せのかたちを川瀬とりいる 中島芙美恵
主語が「川瀬」で、しかもそれを擬人法ならぬ犬の姿勢になぞらえている。川瀬のあの低く平らな形状が、増水時の濁流に耐えるための伏せの姿勢だったとは。新鮮な見立て。
自転車に気負ひて下る 真向ひの海へざんぶりと入る心地に 大塚 洋子
急坂で自転車のブレーキを握ったときに前方が海だったら、怖い一方爽快感も半端ではない。「気負ひて」と「ざんぶりと」が効いて、スピード感あふれる海辺の歌となった。
雲海の彼方夕富士浮びゐて眼下信濃の稜線つづく 鳥居 妙子
結句以外はきっちりと定型だが、機窓からの風景を読者の眼前に見事に広げて見せた歌。二つの地名が雲海でつながる雄大な美。
稲妻の言い分もあろうだがしかし黒焦げの電気製品を見よ 滝 友梨香
異国の落雷で電気製品を黒焦げにされてしまった作者。天を仰いで稲妻に嘆く姿はお気の毒だが、語り口が悲壮感を薄めている。
杖・眼鏡・時計にリモコン手離して見えぬ父にこそ残りたるもの 林 泉
杖以外は盲目の父上には不要となったモノばかり。杖も置いたとすれば、父上は推理小説に登場するアームチェア・ディテクティブに、なられたのかもしれない。視界は失われても経験からくる洞察力はより研ぎすまされたであろう父を思う、作者の視線が温かい。
鉄鉢を片手に電話する僧の携帯電話はあみ笠の中 小菅悠紀子
今どきの托鉢僧は僧衣にケイタイを隠し持つのか。寄進する気も失せそうな煩悩。
そぞろ寒く抱く膝がしらめぐる血も前立腺も秋闌けにけり 片山 晋
歌に前立腺が登場するとは驚いたが、結句の「闌」が全盛と衰退の両義を持つと知ったら、急に味わい深く思えてきたから不思議。片山さんの歌には肉感的な描写が多い。秋と作者の年齢観が呼応。
星座より星座をなぞる指先に見とれてしまう秋の高原 貞包 雅文
誰の指先に作者は見とれたのか。作者と相手の間柄によっては相聞歌になりそうなドキドキ感。秋の高原との場所設定も良く、夜空の星座をなぞる彼か彼女の指先が浮かぶ。
風はなくみどりにそそぐ陽のおだしかかる日にこそ黄泉路を行かな 井上 恭子
下句は縁起でもない話だが「成仏するなら穏やかな日に」との願いは万人の共感を呼ぶ。上句の何気ない風景が作者を動かした。
脱ぎ捨てていずこに行きしやかたつむり自在なるかな殻ほとびたる 斎藤ちづ子
長野在住当時父母が使っていた「ほとばす(=吸水させる)」「ほとびる(=ふやける)」は方言だとずっと思っていたが、今回ちゃんと辞書にあって驚いた。かたつむりの抜け殻があったということは本体はなめくじになって去ったのか?作者の疑問は読者にも伝わるし、身軽になったかたつむりに寄せる作者の思いには、世のこどもがかたつむりを見て感じることとは違う何かがあったかも。その場で死んだかたつむりの身が腐って殻が残っただけ、と済ませては歌が成立しない。
弾みつつ並木を抜けて会いにゆく二時間前に生まれた人に 藤田 千鶴
最後は生命の誕生。作者が出向くのは赤子に会うはもちろんだが、その母親を祝福するためでもある。無事出産の報に足取り軽い作者の高揚感が初句に表れ、並木を抜けるとぱあっと広がるだろう風景が心象と重なり、二句の味わいを深めている。読者も幸せをお裾分けされたようで、思わず顔がほころぶ歌。
********* 引用終わり *********
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