発行済の内容なので自分の執筆部分を引用します。
以下原稿用紙7枚以上の長文ですのでご了承ください。
********* 引用はじめ *********
ホバーリングすっと行ってはホバーリング思索の果てに塩辛蜻蛉 梶野 敬二
庭先に法師蝉鳴くトレモロが巧い三回を鳴き去るも良し 上田 充子
初秋の詠草なのでトンボや蝉の歌は多かったが、この二首はどちらもカタカナの専門用語を取り入れた細かい観察が印象に残った。梶野さんの歌はヘリコプターの描写かと思わせて下句でぐっと焦点が定まる。上田さんは蝉の声をトレモロと聴き取った点が巧い。
「渇水」という小説を書いた奴いまごろどこで何を飲み居る 能登 鳶
小説名と下句のぶっきらぼうな口調が効いて、友に寄せる作者の思いがうかがえる。
日本語が理解できないフランソワ上目使いで新郎の席 あかり
国際結婚か。異国の挙式披露宴の進行を飲み込めぬまま新郎の扱いを受けるフランソワ氏のぎこちない所作が、四句に表れている。出自がどうであれ、彼は通過儀礼を無事クリアして妻の里に受け入れられた。ご多幸をお祈りします。
顔映るごとく研がれし包丁を受け取りビビッと背筋伸びたり 大西 明未
四句「ビビッと」はやや軽いようにも思えるが、研ぎたての刃物を手にする緊張感はこの一首から過不足無く伝わってくる。
海へ行く約束をした父 病める子を持つ母もをりけむツインタワーに 安藤 純代
九月十一日の米同時多発テロ。望まず命を落とした幾百名の陰に、残された家族や暮らしがあったはず。推量ではあるが犠牲者個人の人生に着目したことで、味わいが増した。
隣家よりゴミのポスター借用し仕訳し直すはらから老いたり 樺沢 ミワ
母上を送る一連中の歌のため「はらから(母を同じくする兄弟姉妹)」の語が重い。葬儀のために集まり手分けして後始末するきょうだいを、作者は冷静に見つめる。
この味を嫌がりし亡母思ふなりウィダーつるりと飲み込みながら 今村美智子
レトルト風の栄養食は手軽だが、袋の金属臭さや口元のプラスチックに違和感があり、味も舌触りも決して良いとは言いがたい。亡き母上もかつて健康だったころの食事にもっと近いものを、食したかったのだろう。残された者が飲食時に故人を想う歌は過去にもあるが、商品名を入れたことで老人介護の実態をも伝える時事詠的要素が加わった。
十本は二重三重くるまれて息苦しヤクルトになりたくはなし 助野貴美子
作者は手のひら大の乳酸菌飲料十本組に着目し、さらに下句で自己の内面に踏み込んだ。二重の意味でユニークな歌。四句十文字の思い切った字余りも窮屈感を演出。
ものを作る仕事が嫌でネクタイを締めて十年ものを作りたし 山﨑 大樹
本作「ものを作る」は「手を動かす」と同義。事務方のキャリアが長い作者が書類以外に触れる仕事もしてみたくなったということか。今後転身を果たせるかは不明だが勤続十年、作者の閉塞感がうかがえる。
下熱剤二度のみながら北の峯ハイツに向かう深夜勤務の孫は 近藤 桂子
素の顔にすつと戻れり購読を断りしとき販売員は 首藤よしえ
「職場詠」とは少し違うが仕事ぶりを描写した二首。近藤さんのお孫さんの体調が悪くても夜勤を休めぬ歌。初句は「解熱剤」だと思うし結句のふりがながやや強引だが、三句四句の勤務先名が効いている。首藤さんに購読を断られ営業スマイルを取り下げた新聞販売員はどんな「素の顔」を見せたのか。
見送りの人残し来て振り向けばコンビニの旗がふっと隠せり 中出佐和子
現代的な光景。コンビニ前で人と別れて歩き出し、振り返った作者には、はためきは邪魔だったのか、それとも遠景を見ずに済んでほっとしたか。
ネットにて予約をしたるホテルには吾が名を載せる古き宿帳 八鍬 友広
この歌もある意味時事詠だが余情がある。ネット予約が可能になったホテルでも、予約客の名は(おそらく手書きの)昔からの書式の宿帳に記されていた。すべてをコンピュータ化してしまわないところは宿経営陣の心意気か、スタッフ間の温度差か。江戸時代の商家の大福帳も、非常時の水濡れに耐えるよう和紙に墨書、を変えなかったという。
草鞋虫・蚯蚓に蟻を掘り見せて孫たじろがす妻の執着 原田 直
団子虫を飼ふ幼な子は三角のふんもするよとはにかみて言ふ 結城 綾乃
現代っ子が土に親しむ機会が減ったなどと報道されるが、大自然に興味を示す子と示さぬ子が居るだけで、これは古来変わらない。ミミズやアリを無理矢理見せて孫をたじろがせる祖母と、ダンゴムシが好きで細かく観察できる孫。子育て孫育てに気負いは必要か?今回は結城さんの歌の幼な子に一票。
習いいし建築の本取りに来て子供のとびひを娘は言いてゆく 奥野 侑子
建築を学ぶ娘が立ち寄って子供のとびひを話題にしたという。とびひの音が鳶職を連想させる程度で上下句に特に脈絡はないが、取り合わせの意外さは成功していると思う。
孫のなきさびしさ友に書きたれば子のなきことを認めて来ぬ 船曳 弘子
子や孫を持たぬ人は世にあまた存在するのだが「所帯を持って子を産むべし」なる旧来の価値観が強い環境では「持つ」人への複雑な感情もぬぐいきれないと聞く。友からの返信は作者の心を軽くしたのだろうか。
ちかぢかと顔覗き込み死んだかと思ったわよと小声に言えり 須磨岡 繁
作者が男性だから妻の言葉と推測するが、何から目覚めたか?やセリフの声音次第で解釈が割れそうな内容だ。この状況を冷静に歌にまとめた作者にも驚いた。
メガネ光り顔の失せたる人がゆく手繋ぎの兒がちよこちよこつきて 大畑 とさ
マンガではあえてメガネの下の眼を描かない表現があったりするが、現実にこういう顔が歩いていたらちょっと怖い。この歌では下句から年齢性別も推測できて、なお不気味。
二階よりよしず吊せば商家めき氷小豆の食べたくなりぬ 梅田 啓子
なぜ「商家めく」で「氷小豆」なのか唐突感は否めないが、大きなよしずが一気に暑さと生活感を消した感じは伝わる。プレハブや鉄骨でなく古い木造の家なら尚良し。あるいは作者は時代劇の茶店でも連想したか。
いけばなの教室生がひとりやめ秋風すうと通りぬけゆく 田口 朝子
華道の経験は無いが(教室でもお座敷でも)受講生ごとに一定の広さを確保して、花材や道具を広げて制作すると想像する。長く続けていれば各々の席もある程度決まっていたかもしれない。その一人が教室を去り、彼女の場所だけが空間となって残された。下句の風が暗示するのは季節の移ろいだけではなく、居合わせた作者の喪失感でもあろう。
********* 引用終わり *********
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